檜皮 園江(ひかわ そのえ)
1965年 8月 26日
静岡県生まれ
東京暮らしを経て
2011年から熊本在住
健康オタクのミニマリスト*
【おいたち】
■小学1年生
風邪の菌が血液に入り
関節炎で歩けなくなる。
約1年の入院生活。
退院後の通学は母から車で
送ってもらい長期間に渡り
血液検査を受ける。
水泳は4年からOKだったが
中3年まで陸上での運動は
余りできなかった。
母は、自然食~手づくりで
健康を維持してくれた。
味噌~ドレッシングなど*
父は、故・見原先生による
血流を良くする
身体もみほぐしを習う。
「クスリで病気は治らない。
血液の滞りが病気を作る」
という教え
~(霊気への感心の元となる)
健康体になり
高校生活は普通に過ごす。
■結婚後
子供がすぐに授からなかったので
特に食事や生活全般
気を付けるように…。母の味
父の教えを念頭におき
自然食Shopより、調味料、
トイレットペーパーなども購入。
■子育て
母乳育児、布おむつ、さらしで
お尻拭き。
6ケ月・ポリオワクチン接種前に
予防接種をする事に疑問をもち
調べる。
「予防接種を考える会」へ参加。
書籍を読み自分の意思を固める。
“健康な身体は、リスクある
クスリをプラスして守るより
自己免疫を整えることで守ろう!!”
と決意。
予防接種をしない子育てをする
孤独であってもOK!と思っていた。
木のおもちゃ~
自然素材に触れさせる育児
おやつは黒豆を煮たもの
(持ち歩いていたほど)
母より教わる。
幼稚園…
教育も内容を選んで決める
当時は珍しい縦割り保育。
わらべうた(音がない)絵本
木のおもちゃ。カードゲームなど
「百町森」のおもちゃを揃え
五感を育てる保育の良さを感じる。
ここからシュタイナー教育への
感心が高まっていく。
■事件…
一軒家を建てるも欠陥住宅だとわかり
退去となる(本当に色々ありました)
これを機に不動産&建築不信となる。
地元・焼津へ戻りアパート暮らし~
その後、二軒目の家を建てる。
間取りは自分で設計。
不動産、建築会社を探す。
自然素材の住宅(アーキビジョン・
北海道の家)を建てる。
■ガーデンショップkikaraを開業
・お庭で、鉢、花苗を販売
・家のなかで自然素材の雑貨を販売
・自然食の販売
・ワークショップ(今で言うマルシェ)
・幼稚園を自宅ですると楽しめた♪
・廃油にEM菌を入れReくる石鹸を作る
・その他…廃油キャンドル、布ふきん
ドライフラワー、多肉植物の寄せ植え
お店のお客様でシュタイナー教育の
学校へ転校する方がいて見送るも
私も行きたくなり店を閉めて
引っ越し~転校する。
東京立川にある「賢治の学校」
(長男小6、長女小4のとき)
東京賢治シュタイナー学校サイト
私自身もシュタイナー教育を
学びたいと思い、講座を受けるが
途中で挫折(精神論が難しい…)
結果、またお店を始める
「ベジカレーkikara」。
住んでいた長屋を使って
庭カフェ付きで営業。
自然食販売、雑貨販売、
飲食店(ベジカレー、ベジバーガー、
ベジマフィン、ドリンクetc…)
■3、11(東日本大震災)を機に
店をたたむ(非常に残念でした)
作物を使う側から生産する側へ
いこうと決意。
九州・熊本へ有機農業研修生として
移住(人参農家になることを決める)
長男の高校受験前バタバタ~
就農予定だった山都町を離れ
産山村へ住む。
農地探しをひとりで始め
2反の田を借りるも豪雨災害に遭う。
ほかを探して一年間、人参や野菜を
育て東京方面へ野菜セットを発送。
なぜか満足し農業を離れる。
市内にて…子供2人学業中心の生活。
子供の部活・マーチングなどを追い
かけた。その際は、飲食店バイト、
衣料販売~現在の借家一軒家にて
庭畑をしながら靈氣に出あう
■職歴
大手家電メーカー工場
ホテル売店/マクドナルド
レンタルレコード店
パッケージデザイン
デザイン事務所/生保レディー
エステテレアポ/携帯電話事務
子供服販売/お弁当工場
レストランホール
ホームセンター
スーパーレジ/ダスキン
バーカラオケディスコ
ロッテリア
ベジカフェキッチンホール
スカイラークキッチン
コンビニ/花屋
ベジ弁当原宿/農業
ホースホテルキッチン
andベッドメイキング
ヤクルトレディー
コメダキッチン
パン販売/パン配達
手作り惣菜キッチンホール
精神病棟家庭料理・掃除
産婦人科料理補助
アパレルレディース
アパレルメンズ
派遣/学生寮キッチン
~現在に至る